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2008年12月31日

自由とは必然性の洞察である

自由とは君たちがひねくれて思うような『俺たちの自由だ・勝手だ』では絶対になく、また大学の知識人が唱えるような非科学性に満ちた感性レベルの自由ではありません。科学的にいえば自由とは、端的には対象の構造を徹底的に究明し、その論理性を必然的な法則性と把握した後にその法則性に則って思惟し、意志して生きることである。  なんとも恰好いい言葉ですから、君もそらんじて使ってみてはいかがですか? (『武道講義 第二巻 武道と認識の理論2』(三一書房)P. 259)

自由であるためには、対象に見合ったあり方を必然性レベルで把握していなくてはならないのですね。「自由に仕事をする」には、会社が本来何を求めているのかを知らなくてはならないし、自身の生活がどうあるべきかも知らなくてはならない。たとえば「在宅勤務」などの制度を安易に導入するのは気をつけなくてはならないことが分かります。

最低限のルールは、人が自由に行動するための助けにもなり得る、あるいは必然性を把握しきれない人の行動をあるべき方向に導く(ルールはそのように策定すべき)。

引用元

対象の構造に見合った頭脳 - 心に星雲 -
タグ:自由
posted by junya at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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